缺月在天-大野右仲-

あっちこっち書き散らかした【大野右仲】にまつわるアレコレ

今週の右仲さん(1-4話)

今年の大河ドラマ「八重の桜」が初回からあんまりにも面白くて滾った結果、ツイッターで予習復習と称して右仲さんステマ(ステルスしてない上に特にマーケティングもしてない行為)を始めたもののまとめです。

年齢計算間違っていたり、微妙に時期がずれたりしますが、ざっくり見ていただければ。

 

 

  • 第一話(1/6放送)

今週(嘉永7年/安政元年)の右仲さん(18):そろそろ唐津から江戸に出てきます☆

この時期だとまだ昌平黌に入る準備として古賀謹一郎の久敬舎に入ったあたりですねー。長岡の河井継之助とはここで出会っています。唐津藩の江戸屋敷の離れでのんびりしている若殿(訳あって廃嫡)にお小遣いもらったり。

 

  • 第二話(1/13放送)

今週(安政3年)の右仲さん(20):幕府直轄の学問所である昌平黌へ入学しました( ´ ▽ ` )ノ(※補足1)現在の湯島聖堂のお隣。

会津だと広沢さん(岡田義徳)が翌4年、秋月さん(北村有起哉)はこれよりだいぶ前の弘化3年に入学。

 

  • 第三話(1/20放送)

今週(安政4年)の右仲さん(21):先週に引き続き昌平黌で勉強したり暗躍(※補足2)したり。

広澤さん(岡田義徳)が昌平黌入りしたので友達?になりました♪( ´▽`)この後、彼の日記に出てきます。

 

  • 第四話(1/27放送)

今週(安政5年)の右仲さん(22):先週に引き続き昌平黌で勉強なう。というか昌平黌を出たり入ったりしていますが理由不明。あと、2話で寅次郎(松陰/小栗旬)が長州に戻されたあとその教え子になった高杉晋作が昌平黌入りしたのでお友だちになりました。

 

※補足1:書生寮姓名簿

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※補足2:安政3~4年に右仲さんが行っていた暗躍の内容

 安政三丙辰年七月の頃と覚ゆ。大野又七郎来訪、酒宴に際し同人慨然として空を眺めながら、小笠原家も誠に衰退、殊に財政御困難に赴けり。如何かして之を挽回するの道なきかと申候故、之を挽回するの考案ありやと質問せしに、同人暫時思案の上、敬七郎君(長行の俗名)を長国の世予に立つるが第一の良策なるべしと答へたり。成程是は良策なれども、之につき困難なるは、敬七郎君は御廃人の身にして嘗て数度其筋へ御再興の義、内々申立しに拒絶せられたる趣、且御年令長国公より長ぜらるれば之を成すは容易の事に非すと申せしに、同人重ねて尾崎嘉右衛門と熱議を遂げ、不日罷越すべしとて其日は相別れたり。其后両人来訪せし故、種々内議を疑せしに、幸ひ嘉右衛門は御留守居助役、又七郎は書生の身にして有名の儒者に知己多きと、余(西脇勝善)は現に執政の職にあれば、略々計画の手順は整ひたるものゝ、廃人再興に係る御類例の捜索と君上の御承諾を経るとの二箇條は最も困難の事なれば、極密に三人血誠を以て誓ひ、幸に此事成就せば御家長久の良策、若し成らずば割腹と決心し追々其事に着手せり。

(吉村茂三郎著『松浦史』(昭和31)「第九章 第一節 長行擁立の内情」より)

 

唐津藩のお国事情で、唐津小笠原初代藩主長昌の長男として生まれながら継承権のない庶子にされていた小笠原長行を、現藩主長国の世継とするために西脇・尾崎・大野が「若し成らずば割腹」の覚悟で頑張った話。書生の身で藩の重役と共に活躍する右仲さん(=又七郎)。

これらによって安政4年、長行は長国の養子となり、文久2年には世子のまま幕府の奏者番から若年寄、やがて老中になります。

右仲と長行の関係は、右仲の父が二代目藩主長泰の時代に唐津藩に登用され、長行の学問指南を務めたことから。右仲が江戸に来てからは小遣いをもらったり病気になれば寝泊まりさせてもらったりと、長行から弟のように可愛がられていた様子。大野家は親子二代にわたって長行に尽くしています。