缺月在天-大野右仲-

あっちこっち書き散らかした【大野右仲】にまつわるアレコレ

今週の右仲さん(9-13話)

薩会同盟による八一八の政変から禁門の変、第一次長州征討まで。大野さんも東西を行ったり来たり。確認しながら書いているので、あとからちょこちょこ書き足したり書き直したりしている場合があります。すみません。

 

 

  • 第九話(3/3放送)

今週(文久3年)の右仲さん(27):水野忠徳暗殺失敗の翌日、若殿は軍勢を率いて京都へ向かうも大阪で止められ免官の上、大阪城代宅に幽閉。それを聞きつけて脳溢血から半月で大阪へ駆けつけ若殿と和解、益々若殿からの信頼が増したうちゅうさんでした(七月に江戸藩邸へ戻ってるので八一八の政変の時にはたぶんいない)

 

補足:部下の過剰な進言により主従の喧嘩別れ→部下の案じたとおり失敗して幽閉された主君の元に部下が駆けつける→仲直りした上、以前よりも主従の絆が深まる、という定番の流れを外さない。そう、うちゅうさんならね。

若殿と共に京都へ向かったのは、外国奉行、騎兵奉行、歩兵奉行を含む総勢千六百人。幕府軍艦の蟠龍と朝陽で横浜を出発。結構大規模。大阪上陸後最初に止めにきたのは若年寄の稲葉様(館山藩主)で、そのあと守護職である会津家臣の小野権之丞や秋月さんも止めにきてる。秋月さんほんと忙しい…。

 

クーデターの理由は色々言われてるけどざっくり説明すると、

「攘夷!攘夷!って言ってるのに生麦事件の賠償金を異国へ払っちゃってごめんね☆っていうか、そんなことより将軍様を早く江戸へ帰してよ!」

を朝廷へ説明して訴える(=武力で圧力をかける)ためのものらしいです。結局その将軍様に止められたわけですが、将軍様を江戸へ返すことができたので結果オーライ。その後の若殿には、免官謹慎以上の処罰は無し。これは裏で慶喜が工作していた、というかそもそもこのクーデターには慶喜も参加するはずだったのではないかと言われています参加しなかったけど。

 

  • 第十話(3/10放送)/第十一話(3/17放送)

今週(元治元年)の右仲さん(28):クーデター未遂の件で免官の上江戸で謹慎となった若殿復権のため再び上洛、何故か会津藩士として周旋活動を行う。関白の用人との会談や、永井主水正等の尽力を得る(その甲斐あって無事若殿の謹慎解除に成功するのは禁門の変で長州系が京都から一掃された後)

 

補足:この辺になると無茶をしなくなるっていうか若殿と仲直りしてからやんちゃやめたよね右仲さん。くっそ…かわ…。でもなんで会津がそんなに協力的だったんだろって思ったけど、若殿が幕政にいた方が会津的にも好都合だったんじゃないかなー。この辺りはちょっとあとで確認したいです。しかしおかげさまで若殿もこのあと、第二次長州征討の全権というでっかい貧乏クジを引く羽目になるのですが。

 

  • 第十二話(3/24放送)

先週から数日くらいしか経ってないので簡単に今週(元治元年)の右仲さん(28):この時期は若殿専属の探索役も兼ねてそうだから、たぶん京都にまだいるし禁門の変会津側から見ていると思われます。一応会津方についてはいるけれど、長州側にも親しくした友人がいる状況。

 

  • 第十三話(3/31放送)

今週(元治2/慶応元年)の右仲さん(29):若殿の謹慎が解かれて老中に復帰しました。というわけでこの前後でうちゅうさんも江戸へ戻っていると思われます。

 

補足:しかし会津メインだから演出上仕方がないとはいえ京都組に対して江戸組を無能扱いされるのは心外ですぅ>< というかどうしても双方のやりとりに数日かかってしまうので温度差というか認識の違いはどんどん広がる一方ですし、実際の戦闘を経験してしまった京都組からしてみれば、江戸組の動きがじれったく思えてしまうのも仕方ないのかもしれません。でも江戸組は対諸外国という面倒も抱えているわけで…。

 

ところで本編ですが、あの川崎さんはきっと「この弾が的に命中したら告白しよう」とかそんなことを考えるタイプだ少女漫画。とても少女漫画でごろんごろんする。大蔵さんもとても少女漫画の(報われない片思いの)幼馴染ポジションでぷるぷるしますね…!